愛宕村の内北上川の船着場として下川原町があり、江戸時代には仙台藩の米蔵があった。江刺郡内の租税としての米がここより石巻に船積みされ、又諸物資が船運によって上げられ、岩谷堂を経て、遠野、或いは東磐井郡、気仙郡に運ばれたため繁昌した。昭和になってからも、船運を利用して、岩谷堂箪笥等を宮城県に送り出したという。(大正14年)
さすが無人では寂しいので一名入ってもらいました。
愛宕公民館に用足し中のヤマちゃんです。
今は愛宕公民館と小川テントさんの工場前に当たる場所ですが、昔はここが江刺の物流の拠点。すごい賑わいですね。
勿論この時代は「年貢米」は廃止されていたわけですから「小作米」の献上でしょうか?馬喰の優秀さが伝わる1枚です。
[OG&ごん造]※ごん注 写真(左)は大正14年発行の本から拝借した物。実際には大正8~9年頃の画像と思われる。