日中戦争が激化したため、働き手が出征した家や、戦死した家は、農作業の麺でも極端な困難に陥った。それゆえ部落内において田植えなのどの共同作業が行われた。写真は昭和14年6月藤里村川前部落における青葉会共同作業組合第二組の田植え作業風景である。
筆者の思い出といえば、小学時代、この辺によくG太郎君と自転車で、沢ガニ捕りに来た事くらいでしょうか。
ただし今回に限っていえば、「この地点」を特定するまでに、多忙な大社長のユッキを巻き込み、めっちゃ苦労して探し当てた事を報告しときます。かなりの労作です…えっ、やっぱヒマ人?
地元のマサエちゃん、的確なアドバイスをサンキュー。 [OG&ゴンゾー&ユッキ]